Sunny side up

〜いつも一番大事なものはハートの奥の中。下に隠れてなかなか見えないものさ〜仕事のこと、興味のあることを中心に日々のことまで雑記帳のように綴っていきます。

こんな考え方ができる。

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チベット密教によると時間は、未来から過去へ流れるという。

 

 

先祖がいて、両親がいたから今の我々が存在しているのは間違いない。今から話すのはそういうことではなく、将来設計の話です。



我々は、今までの教育としてあの時サボっていたからこうなったんだよ。と、失敗したときに叱られた経験で育ってきた。戒めとして。だからいま起きている事象は過去の産物であると思いっているので、ついつい悔やんだり、ある種の諦めを抱いている。しかし今日を境に、そうではないという思考をやめてみる。


確かに物事が上手く進んでいる時には、過去の努力の積み重ねが今を作っているという考え方もあるだろう。しかし停滞感がある時には、その考えは今から迎える未来への障害でしかない。




つまり、時間は未来から過去へ流れるという思考に変える。この考えは少し見方を変えるだけでえらく腑に落ちる。




過去に目を向けることは将来の目標達成においては重要ではなく、むしろ邪魔なものでしかない。将来に向けて良い種を蒔いておくことで、いまやった方が良いことが次第に見えてくる。いま停滞感があるのであれば今からのコミットを決める。将来はこうなりたいという理想を描いて。


そう考えるとアスリート達がやっている「自己実現の原理」からいえば、目標を達成している自分から現在の自分を鑑みるとこれからの行動を変えた方が良いというのが理解できる。


自然界において動物たちの境遇において著しい個体差は存在しない
しかし人間の場合、明らかに境遇の個体差が生じるのはどうしてか。


時間は未来から過去へ流れると理解できる人間だから未来へ向けて身の周りの環境をコントロールすることができる一方、その観念を理解しない動物たちは、環境にコントロールされることになる。


我々は未来から流れてくる時間の川下に立っている。

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